【想い・思い出】対人に魅せられた日々(by AceS/Dunanさん)

スタッフブログ・HP更新情報

ブリタニアでの思い出やUO同窓会への思いなどを語っていただく「想い・思い出」。
第10回目は飛鳥シャードでユーザーの冒険支援と初心者・復帰者支援を目的とした髑髏亭を運営しておられ、UO同窓会運営スタッフの一員であるAceS/Dunanさんのメッセージをご紹介します。

UOをはじめたころ

Windowsが発売され、インターネット黎明期、オンラインゲームといえばDiabro、AoEかUOぐらいで、現在MMORPGといわれるジャンルはUOしかありませんでした。BajaでUOをプレイしはじめましてドはまり、UO廃人まっしぐらでしたw
1998年7月に日本シャード(飛鳥/大和)が立ちあがり、日本でのサービスがはじまりました。
Napaで暴れまくっていたPKギルド Wicked Crownsに対抗して作られたPKK集団の Anti Wicked Crowns=AWCに参加していましたが、日本シャードが熟成するにつれPKも活発化して日本版AWCが発足。ホコツ(HKT)が出来たときに日本シャードにシフトしました。
Masa.FTaka.FHoneybeeTana などが同僚、トリンシック屋上で待機していてIRCにPK被害の通報があれば、各自が飛んでいくスタイルでした。 ちなみにキャラ名はAceShimizuで、知り合いと聖飢魔Ⅱごっこするために作ったキャラですw

対人の楽しさを知る

AWCは個の集合、連携も相互ヒールもなく「烏合の衆」で散々返り討ちに遭いました。orz
そこでWarGuildに入って鍛えよう!と思い、AWCと並行して、Azuにお願いしてSilver Bullets(S$B)に入隊させてもらいました。毎晩Deceit Warに参加、連携や組織としての強さを目の当たりにしました。(特に練度の高いSK=集中攻撃の華麗さは圧巻)当時はTMS(Tank Magery Swordmanship)が主流で、ソロだとPrecastからのZD(ゼロディレイ、ハルバード連撃)が基本戦術、P-SKILLといわれる技術介入が多分にある時代でした。暇な時間はじゃれあうようにギルメンで野Duelして、徐々に個としての実力もついていったと思います。
そんな時代、当時の赤キャラ(PK)はどんな理由でも死ぬとスキルロスをする仕様でした。Warは死んでも復活セット(秘薬とPOT)さえあればすぐ復帰できますが、PKは「スキルのリハビリ」が必要で、GMじゃないキャラでPKに出てる人も多かった。なので、PKGuildはかなりシビアで対人が上手い人が多かったです。
そんな時代にunkoman率いるUBG(Unko Bakudan Gundan)は、お笑い系PKGuildで、PCイベントで公開ゲートPKを行うなど、PKするけど憎み切れない、ETCなど少数精鋭的なPKGuildと比べるとかなり異色のGuildでした。このunkomanかなりの傑物で人たらし、AWCにもおもれーやつがいるってことで、ありとあらゆる汚い手を使って私とHanki EnkyoをUBGにぶっこ抜きましたwww
※AWCでも仲が良かったのですが、HankiはUO生涯で最高で唯一無二の相棒。無限シャードができたときは二人で大暴れしました
(この話の続きはCMのあとで)

UBG
ゲートPK

PKGuildに入隊

UBGはunkomanのワンマンギルドで、聖なる言葉「Unko Sir!」を言うことを強要される素敵Guildです^^
PKしたら「うんこさー」、なんかとりま「うんこさー」、unkomanって発想がガキで5歳児みたいなやつなんですが、実はMoE開始時のプロデューサーですw(考えは稚拙だがそれを具現化、ブリタニア横断ウルトラクイズみたいな大きなPCイベントを運用/成功させる能力はあった)
なんでPKが宣伝みたいなことをするかというと、当時は賞金システムというものがありました。殺された人がそのPKに賞金をかけるというもので、PKを殺してその首をガードにもっていくと、そのかけられた賞金が貰えるというシステムです。ブリ1銀に賞金首リストが掲示され、ある意味、PKの人気ランキング的なものでした。

賞金リスト

UO引退まで

DeceitWar全盛期はWarGuldが乱立、各ギルド10人以上のACT(出撃メンバー)で、己の矜持とギルドの威信をかけて、ガチンコで切磋琢磨していました。(煽り、暴言、なんでもありーのw)理由は忘れてしまいましたが、S$Bの活動が縮小してしまい、北斗屈指のWarGuildであるstro率いるSexy Murderers!!(SM!)に移籍、他シャードへの遠征やら、Deceitで指揮を執るやら、ますますWarへ没頭していきましたが、その後、Pub16が発表され、対人環境が著しく制限されていきました。

DecietWAR
DECEITWAR
SexyMurderers!!(SM!)

Stroが最後の対人イベントとして、2002年2年7日~13日の1週間、「北斗大戦」を企画しました。派閥Guild、FPK的な対人の人、WarGuildなど、対人系の参加だけで何百人も集まり、最後の祭りを楽しみました。 市街戦とか人多すぎでラグが酷かったですが、ラグを読んで先押し(操作)するのも対人の技術です。やはりWarGuild系が活躍していましたね。

北斗大戦

家の鍵を奪えば家ごと強奪できた時代もありましたが、トレハンハン(トレハンしている人をハント)できなくなったり、そもそもフェルッカに人が激減してPKできなくなったり、派閥やPSCなども導入されましたが、Pub16導入によりDeceitWarも終焉を迎え、好敵手だったFree Lance(FL!)が消えたり…。そして、AoSが導入されたとき、大好きなUOを引退しました。

最後の日

UOに復帰、同窓会への想い

時は経ち、今年の6月ぐらいに旧TwitterでUOにEJアカウントがあることを知りました。試しにやってみたら3accのうち2accが復活。いやー指が覚えてるって感じ?w PCなくてどうしようかなーって思ってたんですが、UBGのギルメンとはいまでも繋がっており、相談したらPCくれるっつーので復帰しましたw
プレイヤーが当時と比べ物にならないくらい減っていて寂しい感じもしましたが、キャラの転送とかできるようになってる!PCイベントは飛鳥が多そうだったので、Warの遠征キャラもいたので、とりあえず飛鳥で復帰することにしました。そして、Matildaさんが店主で、復帰者や新規者が集うPC酒場「桜亭」にお邪魔したとき、無限が出来たときに敵同士、本気で殺しあったBAERUさんと20年以上ぶりに再しました。(煽ったことはあるけど、しゃべったのは初めてw)その後も桜亭には復帰者さんがしばしば来られ、昔話は懐かしく、楽しい時間でもあり、UOへの情熱がどんどん戻っていきました。

今の姿 髑髏亭

そんなとき、その桜亭のMatildaさんが発起人でUO同窓会を開催する話を聞きました。今までのSNSの復帰勧誘やPC酒場などの地道な活動はそのための下地作り、仲間作りだったみたいですね。いやー黒いわーw策士やなーwって共感する前に思っちゃったのは内緒だけど、全力で応援することにした次第です!
帰したみなさんが同窓会当日に、当時の衣装・装備で参加できるようにお針子チームを用意したり、各シャードの有名PC酒場が飛鳥ブリテインに一堂に介するなど、思わぬ再会の機会や懐かしい思い出、いまのUOを知ってもらう催しがいっぱいです。みなさんに心から楽しんでもらって、このUO同窓会が古巣のシャードへ帰還するきかっけになったら良いな、と思っています。そのために、現プレイヤーが一生懸命準備を進めています。とりあえずUO同窓会に来てみてください!絶対楽しいから!


P.S.(復帰後の感想)
え?PKってなに?対人とか美味しいの…
屋上カメオで高収入~♪屋上カメオで高収入~♪
I’m killing you NOW!NOW! なぅなぅ♪

コメント

タイトルとURLをコピーしました